会社の歴史

History

日本の企業である同和ラインが何故カリブ海でビジネスをしているのか、そしてどのようにして圧倒的なシェアを誇るに至ったのか?
それは同和ラインの先人達が新しい航路に挑戦し続け、今も我々に引き継がれる「海図なき航海を切り開く」というスピリッツに基づくものです。

同和ラインスピッツ

同和ラインスピリッツ

DOWA Spirits

同和ラインの誕生
創業者

創業者瀧川文雄

1957年3月25日、株式会社同和ラインの前身である同和海運株式会社が設立されました。社名には「先人から受け継いだ『和』を大切にし、同じ志をもって全社員が一丸となる」という創業者瀧川文雄の思いが込められています。

内航オペレーターとしての地位の確立、外航への進出
新造船第一号

1959年12月、新造船第一号雄和丸の進水式

設立当初は国内の港間で石炭などの内航貨物の輸送をしていました。神武景気の波に乗り船腹を大幅に拡充し、内航オペレーターとしての地位を確立しました。1958年には韓国へ就航、1959年には台湾へ就航と、設立から異例の早さで外航に進出しました。

近海オペレーターとしての基盤確立、インドネシア政府プロジェクトの獲得
港

当時のジャカルタ港

1960年代、それまで燃料の主役であった石炭から石油、天然ガスへの転換が図られ、内航海運業界における石炭輸送は先細りが予見されていました。また高度経済成長期が始まり、住宅の建設が加速し東南アジアの木材(南洋材)輸入が増加していました。同和ラインも営業方針を転換し、石炭輸送から南洋材輸送に舵を切りました。1963年にインドネシア政府との間で船舶および船舶機器の売買を成約させ、ジャカルタ港の特殊港湾プロジェクトも受注しました。翌年にはジャカルタ駐在事務所を開設しました。

インドネシア航路の開拓・撤退

ジャカルタ港の特殊港湾プロジェクトは折しもインドネシアでのクーデーターとタイミングが重なり困難を極めました。ジャワ島各地で火の手が上がり、政府公館も焼き討ちされ、政府機能は混乱状態に陥っていました。このような状況においても会社一丸となってプロジェクトを遂行し、無事に港湾設備を受け渡すことができました。このプロジェクトの成功により同和ラインはインドネシア政府、港湾局、海運関係者から厚い信頼と確かな評価を獲得しました。

駐在員事務所の様子

1964年に開設されたインドネシア・ジャカルタの駐在員事務所

1966年にはインドネシア共和国定期航路6船社の代理店として往航集荷代理店業務を開始、また同国の塩専売公社所有船の日本総代理店業務開始するなど、順調にインドネシア航路を開拓しました。1974年には木材輸送協議会所属のインドネシア海運6社と日本での総代理店契約を締結しました。これは当時の日本・インドネシア航路は近海船社の羨望の的となる航路であり、インドネシア最大の輸出品である南洋材を運搬する利権を得たのはまさに快挙でした。その後も順調に取引量を拡大させ、インドネシア原木輸送量は近海船社の中では同和ラインがトップの座を1985年まで占め続け、「インドネシアといえば同和ライン」とまで言われるほどになりました。

駐在員事務所の様子

積み荷の南洋材

なぜ1985年までなのか?実は1980年からインドネシアで原木輸出禁止を発表し、1985年には輸出が全面的に禁止されたのです。こうして同和ラインはインドネシア航路から新しい市場を開拓する必要に迫られたのです。

カリブ海への進出
マンハッタンにある貿易センター

同和ラインアメリカの最初の事務所が入っていたマンハッタンの世界貿易センター

これまでインドネシアの木材を輸送していた同和ラインが次に目を付けたのがブラジルでした。これから同和ラインはどうするべきかという議論をするために役職員が会議室に集まり、皆で世界地図と睨めっこをしていたところ、社員の一人が「ブラジルなら木材が豊富にあるのでは」と何気ない一言を発しました。思い立ったらすぐ行動、早速現地へと市場調査に出かけることになりました。調査員は直接ブラジルに向かおうとしておりましたが、全く縁も所縁もない土地です。そのような折に創業者瀧川文雄の旧友である外国人の同業経営者からニューヨークの事務所へと招待を受けました。
せっかくなのでニューヨークに立ち寄り米国での海運業の市場調査をしたところ、カリブ海は遠浅で、北米から中南米に輸送される荷物は同和ラインが運航していた小型貨物船(6,000重量トン)が適しており、また中南米諸国は自国籍船が少ないため同型船のニーズが高いということが分かりました。市場調査をしていた社員は全く英語を話せないものの、海外同業社のスタッフにニューヨークの海運関連会社の概略、商慣習、契約、規制、港湾事情など実務面での指導を受け、1981年、マンハッタンに現地子会社を設立し、事務所をニューヨーク・ワールドトレードセンターに構えるに至りました。

海運不況を乗り越えて

旧ニュージャージーの事務所

旧ニュージャージー事務所(自社ビル)

現ニュージャージー事務所(2018年12月購入)

1980年代の世界経済は1970年代のドルショックと二度にわたる石油ショックによる景気の低迷で混迷を極めていました。日本は対米輸出の増大で世界有数の貿易黒字国となりましたが、海運業界は先に述べた通り、インドネシア政府の原木輸出規制により景気の底をさまよっていました。このインドネシア政府の政策に対して素早く手を打った会社と、特に対策を打たなかった会社との差は明らかでした。策を講じてこなかった日本の同業他社が倒産していく中、同和ラインは創業者の一貫した考えで常に先んじた経営戦略を展開し、海外市場を開拓しました。この「海図なき航海を切り開く」というフロンティアスピリッツが同和ラインの社是となっています。
もちろんカリブ海市場はアジアの近海市場よりも厳しいものがありました。カリブ海域はヨーロッパの海運会社の縄張りであり牙城でした。そこに日の丸を掲げ、殴り込みをかけ、ゼロから顧客を獲得することは並大抵のことではありません。言語の壁や不慣れな商慣習に翻弄されながらも、他社よりも新しい船、日本人ならではのきめ細かいサービスで、徐々に北中南米の大手企業からの信頼を獲得しました。
長引く不況で海外の海運会社は競争に勝ち残れず倒産したり、カリブ海から撤退するなどして、徐々に当社の競合他社がいなくなり、不況から脱した時に気づけばカリブ海は同和ラインを筆頭に数社による寡占状態となっていました。

常にカリブ海の王者たれ
パーティーの様子

米国で行われた同和ライン60周年記念パーティの写真

日本の商社や金融機関、海運同業他社の間では同和ラインが北中南米の荷主を相手にビジネスをしていることが信じられないという声が聞かれます。ある商社の社長は「以前、われわれが中南米で行った商売は全て失敗した。あんな難しい地域で同和ラインさんはどうして成功できたのか?」と驚きながら仰いました。「常にカリブ海の王者たれ」 ― これを合言葉に長年苦しみながらも懸命に努力した結果、ようやくカリブ海市場においてリーダーシップを取れる立場になったのです。

未来への布石

未来への布石

For the Future

100年企業を目指して
ヒューストンの倉庫

ヒューストンの船用品倉庫

同和ラインはカリブ海での地位を確立し現在もそれを維持していますが、それに甘んじることは決してありません。常に最新のマーケット情報を掴み、日々の営業努力を積み重ねる一方で、年々高まる環境規制に対応すべく最新鋭の船の研究、安全運航をして他社との差別化を図っています。同時に安定した収益確保のために不動産事業への進出、海外船舶修理会社の買収を実行しています。2021年にはこの船舶管理修理会社の事務所兼倉庫を新たにヒューストンに建設をし、自社の社員の駐在はもちろん、取引先の船用品メーカーの社員の方々の駐在も受け入れて、広くカリブ海の海運事業への貢献を目指しております。同和ラインは未来への布石のため今後も新分野への投資を積極的に実施しますが、最も大切な投資は人材に対する投資と考えています。

快適なプライベートを過ごしてもらうために新築マンションを社宅として取得したり、「出産祝い金」として第一子誕生時に10万円、第二子以降誕生時に100万円を贈呈します。また社員持株会では毎年10%以上の配当をし、役職員の資産形成として役立ててもらっています。
研修制度もユニークです。入社して3カ月ほどした後に自社の運航管理船に乗り組みカリブ海を航海する乗船実習では、英語ができない新入社員が乗船後には見違える程に英語が上達して帰国します。アメリカ東海岸で下船し、その後ニューヨークの事務所で暫く過ごしてもらい、帰国の際はアメリカを鉄道で横断し、西海岸の空港から出発します。船上では海運業の現場を体感でき、ニューヨーク事務所ではビジネスの最前線を経験でき、鉄道でのアメリカ横断はアメリカの文化に触れることができます。
更にユニークな研修制度として国立清水海上技術短期大学校への派遣があります。大学一般学部卒業の新入社員を海上技術大学校に2年間派遣して専門的な技能と知識を習得してもらいます。もちろん給与は全額支給。学費、交通費等も会社が負担します。2010年、2014年に文系学部を卒業した新入社員を派遣しており、両名共「Top Student of Year」に選ばれ、主席として卒業しています。
また2014年からは中南米屈指の名門大学であるチリのカトリカ大学への派遣制度を始めました。6か月間スペイン語の習得のために留学する制度であり、過去に4名を派遣しています。この制度も海上技術大学校での研修同様に全額給与が支払われます。

2022年から社員の自己啓発のための資格取得補助制度を大幅に刷新しました。具体的には「経営・法務」「情報」「語学」「総務・人事」「経理」「不動産」「海事・技術」といった7分野に関する約50の公的資格を対象に、難易度に応じて報奨金5万円、10万円、20万円、50万円を支給することに致しました。例えばTOEICで900点以上を取れば、20万円、満点を取れば50万円が支給されます。社員一人一人の成長が会社の発展に結びつくという考えの下、人材への投資を積極的に実施していきます。

社宅の様子

2021年5月に建築された社宅

実習の様子

乗船実習

海抜学校での様子

海技学校での実習

将来の舵取りを託す若手の育成には今後も一層注力していきます。2058年に同和ラインは設立100年になります。「海図なき航海を切り開く」ことに恐れを抱かず、積極果敢に新しいことに挑戦していく仲間を心よりお待ちしております。

同和ライン60周年記念パーティー集合写真